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【コラム】ミッションスクール志願家庭が備えたい、待つ力と信じる心

もくじ

静けさの中にある光

2025年も、あっという間に残り1ヶ月余りとなりました。

街が華やかな光に包まれつつある季節ですが、皆様はこの1年間を振り返って、どのような日々を思い返されるでしょうか?

世の中では大谷翔平選手の大活躍や、大阪・関西万博の成功など明るいニュースにも恵まれました。その一方で、令和の米騒動と呼ばれる混乱や、大国の経済政策に伴う多国間の緊張の高まり、そして世界各地の軍事紛争も継続しており、先の見えない不安も広がる1年となりました。

変化が多く、不安定な時代だからこそ、心を鎮めて年末のひと時を過ごすことに思いを向けてみたいと思います。

さて、まもなくクリスマスを迎えます。

多くの人々にとって、クリスマスは宗教的行事というよりも季節の風物という位置付けになっているかもしれません。クリスマスはイエスキリストの生誕の日、ということはなんとなく知っていても、それよりもテーマパークの季節イベント、街中のイルミネーションや、サンタクロースとプレゼントの方に、意識が向きがちかと思います。

しかしながら、このコラムをお読みの皆様の中には、ミッションスクール(幼稚園・小学校)を目指されている方も少なからずいらっしゃることと存じます。

そういった方々には、キリスト教の価値観や世界観の中で、1年の中で最も大切な時期とされるクリスマスの迎え方について、やはり相応の思いを持っていただきたいと考えます。

クリスマス当日を、ケーキを食べてプレゼントを受け渡して、というイベントの日で終えるのではなく、そもそもクリスマス当日を迎えるまでの心持ちをどのように持つべきか、そして当日はどのようにしてクリスマスの喜びを迎え、その恵みに感謝する姿勢をもつのか、という点について、ご一緒に考える時間をいただけますと幸いです。

「待つ時間」の意味

クリスマスは、その当日だけをお祝いするものでしょうか。クリスマスケーキを食べて、プレゼントの受け渡しをするのみと捉えるのであれば、そう感じてしまうかもしれません。

しかし、実際のクリスマスは、神さまが私たちのもとに送ってくださったイエスさまのご降誕を喜び、感謝をささげ、お祝いする日です。

そして、そのクリスマスの前の4週間は「アドベント」と呼ばれ、私たちが救い主の到来を心を落ち着けて待ち望む期間です。

最近では、街中のスーパーでも「アドベントカレンダー」という名前で1日ごとにパッケージをめくりお菓子を取り出す商品が売られているので、なんとなくクリスマスまでの日数を数えるもの、と思っている方もいらっしゃるでしょう。しかしこの時期を、単に「クリスマスまでのカウントダウン」と捉えるのではなく、「心を整えてクリスマスを待ち望み、次第に希望を灯していく期間」として過ごすことこそが、本来の意味にかなっています。

アドベントの間、子どもたちがクランツに一本ずつろうそくの火を灯していくように、私たちもまた、祈りと感謝を積み重ねながら心の中に小さな光を増やしていくのです。

現代社会では、ほとんどのものが、お金さえ払えば、すぐに手に入る時代となりました。欲しい情報はスマートフォンを開けば一瞬で届き、食事も買い物も数分で済みます。

そのような一見「便利」と言える毎日の中で、何事も即座にその結果を求めがちになってしまっていないでしょうか。そうした風潮の中で、「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉がもてはやされているのも象徴的です。

つまり、私たちはいつの間にか、「待つこと」そのものを忘れかけているのかもしれません。しかし、アドベントは、そんな私たちに「待つことの意味」を問いかけてきます。

待つというのは、何もしないことではありません。

むしろ、自分自身の内面を整え、心を耕す能動的な行為です。

焦らずに時を受け入れ、見えない未来に希望を持って歩む。

そこには、未来を信じる希望と共に、時が満ちるまでの忍耐や、必ずその時が訪れるという信頼、そして何より、祈りによってもたらされる精神的な安らぎがあります。

私たちが過ごす日常においても、そして子どもたちが日々送る学校生活の中でも、この待つという姿勢、そしてそのための力はとても大切です。

すぐに結果を求めず、過程を大切にする。

子どもたちは、友だちとの関係においても、すぐに評価したり決めつけたりせず、相手の心が開くのを待つ。

そうした姿勢は、自分本位なあり方を捨て去る、愛の表現でもあります。

アドベントの時期は、まさにこの「信じて待つ」ことの尊さを、私たちにもう一度思い起こさせてくれるのです。

救い主の誕生 ― 闇の中に輝く光

聖書が伝えるクリスマスの物語は、華やかな舞台ではなく、貧しい馬小屋が舞台です。

宿を探してもどこにも泊まる場所がなく、ようやく許されたのは、家畜が暮らす粗末な小屋でした。その中でマリアはイエスさまを産み、飼い葉桶に寝かせたのです。

この出来事の周囲には、現代のクリスマスのように、光輝く華やかな装飾は一切存在しません。

むしろ、どの場所にも受け入れられず、唯一許された粗末な小屋の中で、イエスさまはひっそりと生まれたのです。

ここで私たちが覚えたいのは、神さまの救いは、富や名声、地位のある煌びやかなところにではなく、人々から遠ざけられ、隅に追いやられた場所にこそ訪れる、ということです。

イエスさまの誕生の物語は、まさにこの証しなのです。

すなわち、神さまの愛は、外面を飾った美しさの中にではなく、静かにへりくだった誠実な空間にこそ届くということです。

社会の中で冷遇されている人、苦しみや孤独の中にある人、誰にも気づかれずに生きる人。そのすべての人に同じ光を注ぐために、神さまは最も低いところに生まれてくださったのです。

だからこそ、クリスマスの出来事は大騒ぎをするための祝祭ではなく、「誰もが神さまの愛のうちにある」ということを知らされる、希望の物語なのです。

私たちはそのことを、アドベントの静けさの中で思い返します。

冬の冷たい夜の闇の中で、たったひとりで耐え忍ぶような試練の時であっても、光は必ず、そして力強くそこに届けられるのです。

神さまが約束された救いは、決して消えることのない希望として、すでに私たちの中に注がれているのです。

イエスさまが救い主としてこの世に生まれてくださったこと、それ自体がすでに私たちに与えられた希望の光であり、その光を信じて歩む限り、外面的な装飾はむしろ必要ないものなのです。

クリスマスの最大の贈り物

クリスマスの当日、子どもたちにとってプレゼントを受け取ったり、贈り物を分かち合ったりすることは大きな楽しみの一つです。

けれども、私たちが最初に受け取った贈り物は、誰かから受け取った、何か豪華な物というわけではありません。

クリスマスにおける最大のプレゼント。それは、神さまご自身がくださった「ひとり子イエス・キリスト」です。

神さまが、最も大切なひとり子を私たちのもとに送ってくださった。その出来事こそが、クリスマスの中心であり、最大の恵みです。

この愛の大きさを思うとき、私たちは、言葉を超えた感謝の思いを抱かずにはいられません。

そして、大切なひとり子であるイエスさまを私たちのもとに送ってくださった、神さまのかけがえのない愛に応える生き方ができているか、同時に問い直すことにもなります。

私たちは、見た目の豊かさや、さらに言えば人前での見栄のために、自分たちのあり方を見失ったり、振り回されてしまったりはしていないでしょうか?

最も大きな贈りものであるイエスさまが、私たちのところへ、くだって来てくださったことによって、私たちはそのことに感謝しながら自分の生き方を見つめ直すことができる、これは本当にありがたいことです。

神さまが私たちに命を与えてくださったのは、ただ生きるためではなく、誰かを愛し、支え、喜びを分かち合うためです。

だからこそ、感謝とは単なる受け身の姿勢ではないのです。むしろ、神さまからの恵みに応答し、自らの命を他者のために生かそうとする能動的な在り方なのです。

子どもたちがクリスマスの意義をよく理解し、

「神さま、大切なひとり子であるイエスさまを、私たちのところへ送ってくださってありがとうございます」

という純粋な感謝を、祈りとして口にするとき、それは通り一遍な思いやりの心といった言葉にとどまらない、神さまの恵みへの心からの応答になるのです。

言い換えれば、子どもたちの心に灯された感謝の火が、表に現れ出て、周囲をも明るく照らし始めた瞬間とも言えます。

その小さな言葉の中にこそ、神さまが私たちに向けてくださる愛情深い眼差しをありのままに受け入れ、そして驕り高ぶらず、真摯に謙虚に生きようとする姿勢への芽生えが見出されるのです。

そして私たち大人もまた、子どもたちのそのような姿を前にして、同じく子どもたちのように神さまの愛に対して素直に感謝し、日々の生活の中で「いただいた命をどう生かすか」という問いに向き合うことになるのです。

このように、深い喜びと共にありながらも、あくまで謙虚にクリスマスの喜びを待ち望む心を、私たちが整えられているかどうか、このことを自身でもう一度振り返りながら、アドベントの時期を過ごしていきたいものです。

喜びを待ち望む

先ほども触れたように、「待つ」ということは、決して何もしないことを意味する、後ろ向きで消極的な姿勢ではありません。それは、見えない未来に向かって希望を抱き続け、心を備えようと試みる積極的な行為です。

もちろん、信仰の中にあって、物事を整え、進めてくださるのは全て神さまの意志です。ですからその示される道を捻じ曲げるように、自分本位を押し通そうとするのは避けるべき態度です。

だからこそ、たとえ状況が思うように進まなくても、「神さまが定めてくださった時がある」という確信を持つこと。その信頼こそが、私たちを静けさの中で強くし、希望の灯を明るく燃やし続ける燃料となります。

アドベントの時期に、ミッションスクールの子どもたちは、来たるべきクリスマスまで一日一日を心待ちにしながら、ツリーを飾り、カードを作り、誰かのために祈りを捧げる日を送ります。

その姿には、救い主がやがて私たちのところへと来てくださるという確信と、そうであるからこその純粋な喜びや期待が宿っています。

「もうすぐ喜びがやってくる」

この確かな思いを胸に、毎日を心豊かに過ごすことができるのは、神さまが、どのような人にも、どのような場所にも、必ず救いをもたらしてくださることが、間違いないものとして信じられているからです。

先行きがわからない真っ暗闇の中に放り込まれて、一歩たりとも足を動かすことができない冷たい緊張の中、たった一人で圧倒されながらも必死で一日一日を生き抜いている人たちが、この世界には数多くいる。

それでも神さまはそうした人々のことを決して見離さず、誰一人として取り残さずに、必ず救ってくださる。
それどころか、忘れられ、目を背けられ、虐げられている人々のところにこそ、最も大きな恵みが訪れる。

これこそが、もっとも粗末な馬小屋の中で救い主が生まれたことの意味そのものなのです。

私たち大人も、この時期をただ年末の慌ただしさの中で気忙しく過ごすのではなく、一日の終わりに静かに目を閉じ、「今日も恵みの中に生かされた」と感謝する時間を持てたなら、それはどんなに豊かなことでしょうか。

心からの祈りをもって神さまの恵みに応答する、そうした毎日の積み重ねが、やがて確かな光を信じて生きる謙虚な生き方へと変えられていく道筋となることでしょう。

新しい年を迎える希望として

アドベントは、やがて訪れるクリスマスの喜びへと続く道です。

そしてその道の先には、私たち一人ひとりの人生を力強く照らす「栄光」が待っています。

神さまが与えてくださったこの命をどのように生かすか、その問いを胸に置いて、2026年という新しい年を迎える準備を整えていきたいものです。

今年一年を振り返ると、思い通りにならなかったことも、予想もしなかった出会いや導きもあったことでしょう。

けれどもそのすべての出来事の中に、神さまの御手が確かに働いていたのだと信じるとき、私たちは未来に対しても恐れではなく、希望をもって歩むことができます。

とくに、自分の思いとはかけ離れた現実を突きつけられた方にとってこそ、その困難は大きな希望への布石に感じられることでしょう。

時代が目まぐるしく変わり、技術も進歩していく中で、私たちは、すぐに思い上がり、勘違いをしてしまいます。

生成AIを使えば、画像でも動画でも、好みのものが数秒で目の前に現れ、チャットAIが寄り添って悩みを聞いてくれるような気がする。SNSにより全世界とつながったかのような錯覚の中で、「いいね」の数が自らを認める唯一の証のように誤解する。たいていのものは望めばすぐに手に入れられ、お金を払えばなんでも代わりにやってもらって当然。

そんな表面的な満足感は「見せかけの自由」として、私たちをかえって息苦しくしている面もあるのかもしれません。

そしてその「見せかけの自由」を成り立たせるために、息つく暇もなく追われるように毎日を必死で駆け抜けていく。そのような日々が常態化している現代の私たちにとっては、「思い通りにならないというもどかしさ」は、もはやかえって贅沢にすら感じられるほどです。

その「もどかしさ」を「すぐに手に入らないことへの焦り」と捉えるのではなく、むしろ「適切な時を待ちながら自らと向き合う機会を与えられた」と捉え直すことができたならば、私たちは「待つことの豊かさ」を与えられたことに気付かされるでしょう。

そして日々「待つ」ことを通じ、アドベントのろうそくの光が一週ごとに少しずつ明るくなるように、私たちの心の中にも、希望の光が少しずつ強くなっていくよう願います。

その光が、家庭の中で、職場で、子どもたちとの関わりの中で、周囲を照らす小さくとも確かな明かりとなり、日々の恵みに感謝して生きる姿へと結びついていきますように。

私たちが受け取った最も大きな恵みに感謝して、日々の糧を分かち合いながら互いに愛情を向け、一人一人が他者と手を取り合う平和の担い手として歩んでいけますように。

クリスマスを静かに待ち望むこの季節、皆さまのもとに、神さまの愛と恵みが豊かに注がれる日々にあって、 待つことを通して育まれた希望と感謝の心により、新しい年を光のうちに迎えることができますように。

主であるイエスさまがいつも私たちに伴ってくださる、その救いの喜びが示された日であるクリスマスを心静かに待ち望みながら、皆様のご家庭にもその温かな光が満ちることをお祈りして、筆を置きたいと思います。

執筆
慶楓会 小学校受験コース 主任 松下健太

東洋英和女学院小学部長 吉田太郎先生による、クリスマス特別講演会を開催します。
学校で最も大切にされている「キリスト教の愛のメッセージ」を学べる機会ですので、
ミッションスクール志願者の方は、ぜひご参加ください。
*本来会員限定企画ですが、今後、慶楓会で真剣に学ばれようという思いのある方はお席をご用意します。

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