第13回 保護者課題 ~解説~

・今回の母親に対する「泣いて帰ってきた時にどうするか」という設問は、保護者の方が幼稚園内、ひいては学校内で起こるトラブルに関して、どのようなご姿勢をお持ちであるかをはかりたいということが質問の主眼です。

・この質問に対するご回答の方向性としては、おおむね「子どもの気持ちに寄り添う」ということを表現されることが多い印象です。もちろん、子どもから出来事の詳細を根掘り葉掘り聞き出して、「我が子を泣かせた原因(となったであろう対象)をなんとかしてやろう」という激しさまではなくとも、記述内容の中に、「園(あるいは学校)と対立関係を生じさせる芽がある」という印象を与えるご回答はご法度です。

・幼い子どもたちの発達段階を考慮すると、客観的視点を持ち合わせることは難しく、何か自分の気に食わないことが園・学校生活の中であったとしても、自分にとって都合の良いことだけを言いがちです。また自分にとって都合の悪いことは言いません。そのうえ、自分の主張を繰り返しているうちにだんだんと事実とそうでないことが曖昧になり、あたかも自分の主張がすべて真実であるかのように思い込んでしまうこともしばしばです。

・そして保護者の方も、我が子可愛さのあまり、「自分の子がこんなに可哀想な思いをしている。うちの子は何も悪くないのに一方的に嫌な思いをした。嫌なことをされた」という怒りが先行して、建設的な解決の方向に向かわないこともあります。そうした親の姿を見て、子ども自身も「自分は可哀想なことをされたんだ」という被害者意識を強くして、より自分の主張に固執していくことになります。

・とはいえ、親の方も大抵の場合、初めから怒りのボルテージが最大値に高まっているということは多くありません。しかしながら、当初は冷静であるにもかかわらず、関係各所から話を聞き進めるに従って怒りの程度が高まっていき、やがては怒り・被害者意識が最高潮に達するということが、よくある経過です。

・今回の課題への回答のように、実際に我が子に何か事態が生じたということではなく、想定の範疇で物事を述べる時にはそれでも落ち着いていられるとは思いますが、現に何かあった場合、それによって一気に親御さんが加熱してしまいがちであるという例は、園・学校関係者は嫌というほど見てきています。今回の質問は、そういった先生方が、実際に対応を苦慮されてきた経験を踏まえて発する質問であるということを念頭に置いてください。

・現実に、何十人もの子どもたちの生活を日中帯のほとんどの時間において、限られた人数の目で見ている園・学校という環境をお考えいただいた時に、どれだけ仕組みを整えたとしても、突発的で衝動的な行動をしがちな子どもたちについて、何かしらの出来事が起こりうるということはあり得ます。当然ながら、そうした事態が重大化しないような様々な手立てをあらかじめ構築し、また事態が発生した際にも迅速に対処できるような体制を整えていたとしても、想定外の出来事が生じる可能性を完全にゼロにすることは難しいでしょう。

・したがって、事態が発生しうる可能性を極限まで減らす努力を重ねつつも、現実には様々なことが起こりうるのが園・学校生活であるという前提に立ち、その上で何か事態が発生した時には保護者の方も一緒になって解決に目を向けた現実的な対応策を考えていくことが求められます。

・特に、何かしらの事態に関して当事者が複数名いて、それぞれの言い分が異なる時はたいへん対応に苦慮します。

・今回の課題への回答には、「園や学校の先生方にお委ねします」という趣旨のご回答を寄せる方が例年いらっしゃいます。それ自体は最も無難な回答ではあるものの、その一方では「丸投げ」と捉えられうる可能性もあります。園や学校の先生方は、あくまで中立的に物事に対処することとなりますが、それぞれの言い分が異なる中において、しかもそれが子どもの発する言葉に基づいて判断しようとした時に、いわゆる「真実」を見出すことが難しいことも少なくありません。そうした時に保護者の方が「うちの子のことはもう構いませんが、実際に何があったのかだけは教えてください」のようなご姿勢で臨まれる方も多く、そういった方に提示できる「真実」が存在しえないこともあります。まるで園や学校を捜査機関や、裁定を下す場所のように考えておられるのかもしれません。

・「何事にも白黒つける」ことが至上の正義と感じておられる方にとっては、そのような発想で園や学校内のトラブルにも臨まれようとするのでしょう。しかしながら、園や学校は教育の場です。正しさの基準も曖昧ですし、正しさだけを追求することが必ずしも教育的ではありません。子どもたちが、あくまで人間的に成熟していくことができるように、そして人格を確立していくことができるように、その支援を教育の観点から組織的に行うのが園や学校です。事実関係の調査を手段として行うことがあったとしても、それによって失敗をした者に罰を与えることを目的とした行為はありません。また万人に納得を与えるための報告書を作成したり、裁定や処分を下したりして物事をおさめようと狙っているわけではありません。

・園や学校の先生が最も嫌うのは、保護者の方が自分の立場にのみ立脚して、ご自身の正義を振りかざし、それ自体は正論であったとしても物事の解決や教育の観点からはかけ離れた主張である場合です。一方で、たしかに承服しかねるような要素があったり、時にはもはや不条理がほぼ全てであったとしても、長い目で子ども(我が子だけでなく、これからも長い時間を共有していく同級生や周囲の存在)がより成長していくためのステップであると捉え、自分よりも相手の立場に立ち、我が子や自分の主張だけを通すことがもたらす未来の危険性を冷静に見極め、判断し、行動する(時には行動しない)ことのできる保護者の姿です。小さいこと(と言われて、もう腹を立てるのはいけません)に拘らず、自分自身も完璧ではないという謙虚な気持ちを忘れずに、広い視野で、大局を温かく見守る姿を望みます。

・今回は、質問への解説とは言いながら、もっとその前提にある心構えが多くなってしまいました。

・次に、父親への質問に移ります。

・「幼稚園のエピソードで印象に残っていること」とありますが、一つには育児への関心や参加の程度を問うています。幼稚園(または保育園、以下同じ)での日々の出来事に、父親としてどれほど関心を向けて意識を払い、積極的に親子の会話の時間を設け、また夫婦間で情報や認識の共有をしているかの表れと捉えてください。またもう一つの視点として、園の教育に対して、父親がどのような価値観で事象を捉えているかを確かめようとしています。子どもたちの成長を支える活動が日々展開されている中で、特にどういった点に価値を置いているのか、すなわち教育の視点として何を大切にしているのかを明らかにしようとしています。

・回答の記述の際には、たしかにお子さんの姿に自然とフォーカスを置かれるようになるかとは思いますが、その一方で園側がそうした姿に導くためにどのような保育・教育を行なっているか、という点に意識が及んではいたでしょうか。園の教育・保育に対する肯定的な思いを表現されるかたは一定数いらっしゃいますが、多くの方は「園でこのような様子がありました」という表現があったとしても、それを子どもが成長した結果として生じた出来事としてのみ受け止めているにとどまる方が多いようです。

・たしかに「我が子がこのような望ましい振る舞いをした」ですとか「先生から○○のように褒めていただき、我が子の成長を嬉しく思っています」といったエピソードは、それ自体、ご両親にとっては成長を喜ばしく感じる場面ですし、親として無上の喜びであることは否定しませんが、その背景にあると推察される、先生方が積み重ねてきてくださった園における教育や、その意図にまで目を向けることは、お出来になっていらっしゃいますでしょうか。そういった意味において、今回のご回答にあたっては、親として子の成長を喜ぶということにとどまらず、「幼稚園(保育園)の」という枕詞の意味を、よく意識していただくことが必要になるかと存じます。

・これまでの保護者課題の取り組みから、「エピソードそのものを問われているのではないだろうな」という発想のもとに、お子さんの姿に結び付けての記述をされた方は多いかと推測しますが、今回に関してはお子さんの姿だけでなく、幼稚園ないし保育園という集団生活を送っている中での姿であるという大きな文脈をまずは捉えた上で、その教育・保育を担っている先生方による意図的な働きかけに対する慮りが現れてほしいところです。

・これは何も、運動会や学芸会などの大きな行事ごとに限ったことだけではありません。もちろん一つの行事ごとの背景には、準備にかける膨大な時間と手間があることは申すまでもありませんが、むしろ先生方からの日常的なフィードバック、お言葉のひとつひとつが、大切な教育活動の一端とお考えください。

・例えば、「先生から○○○というお話をいただきました」というコミュニケーションは、素朴な意味で誉められている、というわけではないかもしれないと捉える感性が必要です。一例として、送迎のタイミングという非常に限られた時間の中で挨拶を褒められた、ということがあったとしても、親子で無邪気に喜んでいる場合ではないかもしれません。普段から、なかなか挨拶の習慣が身についていないお子さんが、今日はしっかりとした挨拶ができた、といった時、先生はきっと褒めてくださるでしょう。しかしながらその背景には「〇〇君には、今日のようにいつもしっかりと挨拶ができるようになってほしい。だから保護者にも伝えて、共に励ましてもらおう」という意識が働いています。
ですから、園の先生から挨拶を褒められたからといって「この子はいつも挨拶が誉められるんです」と嬉々として人に伝えるのはかえって恥知らずな振る舞いかもしれないのです。したがって、誉められた内容こそ実はこの子の課題だと捉えるくらいの気構えすら必要かもしれないのです。

・また、先生からの言葉に現れる着眼点は、先生がそうした視点でその子を見取り、良さを伸ばすように園生活の中で支えているということです。ですから、「うちの子は園でこんなことを褒められる」「園でこのような望ましい姿がある」といったことを無邪気に喜ぶよりも前に、先生方が日々の保育・教育の中で、じっくりと腰を据えて成長の支えをしてくださっている、その結果としてうちの子が育まれている、という感謝が先に立つはずかと思います。

・数えきれず様々な出来事が生じている園における毎日の生活の中で、親御さんが知るに及ぶような出来事というものは、その背景にある先生方の保育・教育活動の賜物の最も表層的な部分であるということを肝に据えて、その基盤を支えてくださる先生方の尽力への感謝、真摯な姿勢をぜひ大切になさってください。

・はっきりそうは書いていなくても「うちの家庭教育が良いから、我が子はこんなにも素晴らしい」という考えが透けて見える回答は、あえて厳しい表現をすると、驕りが感じられます。もし願書にこのような温度感の記述があると、読む先生方は興醒めするかもしれません。

・保護者の方に伝わってくる園での姿、すなわち見たり聞いたりして知覚しうるエピソードは、全てが先生方からのメッセージであり、今後もお子さんを成長に導くための示唆であると捉えてください。また、良い姿を伝え聞いた時にも、それは先生方の導きによるものであるという慎ましいご姿勢をあくまで忘れず、言葉にも態度にも表していくことをなさってくださいますようお願いします。

・園のエピソードを尋ねると、少数派ではありますが、お子さんが直面した少々困った出来事を挙げてお話しくださる方がいらっしゃいます。そうした方の、困難の中からこそ子育て・家庭教育を見つめ直そうとする人間らしいご姿勢には、トラブルをもお子さんと向き合うための大切な機会として捉え、家庭内での対話につなげたいという、保護者としての真摯な在り方が感じられるので、好印象を得ることも多くあります。

・お子さんのことを述べるにあたり、親としての愛情深い一体感を感じさせると同時に、母親とは区別して一定程度の「他人性」が父親としての視点には望まれるところですが、全くの他者のような客観性に振り切るのではない、親密な温かい眼差しを同時に備えていただきたいと感じております。

・解説は以上となります。

・いよいよ7月を迎えます。受験まで4ヶ月。この期間の充実が結果を分かちます。焦る必要はありませんが、良いところをより伸ばし、課題点は及第レベルにまで引き上げていく時です。何よりも、ご家庭が子どもたちの成長を楽しみつつ過ごしていただくことが最も肝要です。

・懸念としては、毎年、この時期から保護者のメンタルが不安定になっていきます。お子さんは、親御さんの写し鏡です。子どもたちの頑張りが実を結ぶように、ご両親が安定した毎日を過ごしていかれることを大切にお考えください。

・「保護者課題」の取り組みも、残すところ2回となりました。引き続き、次回の課題もお願い申し上げます。