第9回 保護者課題 ~解説~

・お母様に宛てた、「お子さんがお友達と遊んでいる様子についてお知らせください。」という質問について。単にお子様の遊びの様子をそのまま描写するのではなく、我が子の様子を見とるお母様としての視点、意識を問うものです。すでに何度も保護者課題に取り組まれていらした方にとっては、この論法はすでにおなじみのことと存じます。質問に対する回答を通じて、保護者の子育て観、教育観を問うています。

・この類の質問に対する回答の方向性は、大きく分けて、2つのパターンに分かれることが多いです。 すなわち、①我が子はお友達との関わりの中でとてもうまくやっているし、その成長を嬉しい気持ちで見守っている。②我が子はお友達との関わりの中でうまくやっているものの、その一方でうまく関わることができない場面もあるので、その点を改善できるように親として支えていきたい、という類型です。いずれにしても、学校の先生が、「この親は、こういう見方で自分の子を見ているのだな」という感じ方をなさることを念頭に置いて、ご自身の回答を振り返っていただきたく存じます。

・①については結局のところ我が子自慢に終始していないか、また親として時に厳しい目で子に向き合う覚悟を備えているか、といった点が気がかりです。たしかに幼児の成長は目覚ましく、とくに社会性の発達という点では「うちの子はこんなこともできるようになったのか」という親としての率直な驚きと喜びの日々があることは確かでしょう。しかしながら、やはりいまだ未熟な幼児の発達上の課題を鋭く見極め、親としての教育意識を高く持っているか、あるいは学年で数十名から100名以上の仲間達と集団生活を行う学校という場において、ある種の公平な視点、分け隔てない愛情を我が子以外にも注げるか、という点には気をつけて表現を行っていただけると幸いです。

・②については、良い点と併記して課題を明らかにしている点は好感が持てます。ただし、課題の克服方法については、志望する学校によって方向性を多少調整していく必要はあるものの、親としての責任を意識した回答が望まれると感じました。例えばキリスト教主義の学校において、愛情を基盤に長い目で見守っていくということは違和感を感じるものではありません。

・ところが難関共学校をはじめとする学校においては、「いつかできるようになるまで見守る」といった消極的な態度だけでは、表現によっては少し弱い印象、もっと言うと親としての見通しを持った子育ての方針が欠落しているのではないかという疑念を与えてしまう恐れがあります。なんでも親の思い通りにいくわけではないのが子育てですが、そのなかでもやはり親としての積極的な育児姿勢を表現していただきたいところです。

・母親質問の中で、お母様のお子様への愛情深い眼差しについては読んでいる側としても心を温められる思いです。そのこと自体は非常に素晴らしいことであるので、ぜひ願書や面接でも、愛情を惜しみなく表現していただきたいと感じます。それと同時に、これは考査であり、同じく我が子への深い愛情を抱く保護者が何百組と連なる中において、愛情表現のみで他の志願者と差がつくかどうかにご留意いただき、是非とも我が子の成長に向けた積極的で俯瞰的な視野と、学校で一緒に過ごすことになる他のお子さんへの温かな眼差しを忘れないでいただければと存じます。
ある学校では、入学時に「これからは学年の他のお子さんの叔父さん、叔母さんになったつもりで、我が子に対してだけではなくお友達にも愛情を向けてください」というお話が毎年なされています。

・お友達との関わりに関するご回答の中で気になることが多いのは、お友達から「〜された」という表現が目立つことです。子どもたちは、幼児の発達段階特有の自己中心性に基づき、何かの弾みでちょっとしたことがあった時でも「意地悪された」「ぶつかられた」「叩かれた」といった被害者意識を全面に出した表現でものごとを表しがちです。保護者の方もそうした勢いに同調し、特に文章の表現において同じような温度感が感じられてしまうと、学校側からはかなり警戒されます。

・次にお父様への質問「親としてお子様に誇れることは何ですか。」についてです。この質問は、毎年ご回答が集まる前から、あらかじめ一定の懸念が想起されます。すなわち、これまでも繰り返しお伝えしてきた「自慢に陥らないで」ということです。誇れることを率直に、かつ嫌味なく相手に伝えるということは難しい技であると思います。それでも読んでいて、「ご優秀なのですね」で終わってしまうのか、「もっとお話を聞いてみたい」と引き込まれるか、ご回答によって受ける印象は大きく異なったものでした。

・第一に気をつけていただきたいのが、なんでもお仕事につなげてしまうことです。質問は「親として」という枕詞が入っています。社会生活における経済活動の成功は、多くのお父様にとって語りやすい事柄であるからこそ、何百組と面接を行い、何百枚も願書を読む先生方にとっては、本当に退屈な話題です。私学を志す方はほぼ例外なく経済的に裕福なご家庭です。むしろ、日本を代表する名家、世界経済にさえ大きな影響を与えるお立場の方が相当数いらっしゃることを考えて、(言葉を選ばずに表現すると)中途半端な功績はかえっておっしゃらない方が良いくらいです。
そうした中において、誇れること=仕事の成功、とおっしゃってしまうことは、人としての厚み、深みという側面について一面的な底の浅さを露呈してしまいかねません。お仕事のお話は、こと面接においては、はっきりと問われるまでは口をつぐむくらいの方が良いでしょう。(ただし、願書の中で客観情報を伝える箇所がある場合に関しては、必ずしもこの限りではありません)

・こうした類の質問において聞き手、読み手の耳目を惹くのに有効なのは、やはりストーリー性のある描写です。客観的な数字や栄誉といったことは、職務経歴書やビジネスプロフィールとしては有効かもしれませんが、願書作成や面接という場面では脇に置いていただきたく存じます。たとえ規模は小さい事柄であったとしても、一人の人間としての生き方・在り方に迫るような記述には、やはり心が惹かれるものです。それは、何かの賞を取ったとか、年商がいくらあるとか、会社での地位が高くなった、とかいう外形的な論功行賞ではありません。時には不条理や社会悪に歯を食いしばってでも立ち向かうような真摯な生き方、特に社会の荒波の中で一家の舵を握る父親としての力強さを、やや時代錯誤めいた印象を与える恐れがあったとしても、それを押してでも示していただきたいと考えます。「親として」とは、生き方を示す、ということです。 語り口は静かでも、秘めるものの力強さを感じさせる文章には、きらびやかな賞を圧倒する説得力が伴うものです。

・前々回、第7回の解説においても「自分達の成し遂げてきたこと、現在のお立場などは一旦脇に置いていただき、白紙の状態で臨んでいただければと思います。」とはお伝えしました。今回の回答につきましても、上に述べたような一人の人間としての生き様の記述ということからは離れて、主語の大きいお話になっていないか、今一度ご自身の回答を振り返っていただきたく存じます。地に足のついた、安定感のある父親像を表現していただきたく、大言壮語とは言わぬまでも生活実感から離れた大きなお話は控えられた方が、考査において先生方に与える印象も実直な好ましいものになるかと存じます。

以上となります。
引き続き、次回の課題もお願い申し上げます。