【コラム】マリア様の月
愛おしいお母様がた
地球温暖化のせいか、まだ5月というのに夏日の日もあり、寒暖差激しく体調を崩しやすい中で、慶楓会のお子様たちは半そで、額に汗をかき、元気に通ってきてくださっています。同様にお母様方も厳しい暑さの中きちんと整えられ、お子様以上に額に汗をかいてらっしゃるお母様、「手が空く方が子供の手を繋ぎやすく安心ですから」と、リュックサックを背負ってらっしゃるお母様もいらっしゃいます。当たり前の日常の中でお母様自身がより良くありたいと歩みを止めず、よりよい環境、よりよい関係性を常に模索し子どもとともに親として自分も成長したいという姿勢に、私が励まされると同時にお一人お一人のお母様方に愛おしささえ感じます。
今は大学生と高校生になった娘たちの子育ても、決して自慢できることは何一つなく、うまくいかなかったことばかり走馬灯のように思い出されます。もし僭越ながら誇れることを一つだけあげるとしたら、どんなに口喧嘩をした日でも、家は必ず整頓し、温かい食事を用意して、たとえ無言であろうと一緒に食卓を囲んでいたことぐらいでしょうか。娘たちの縁で、カトリック信者として歩み始めキリスト教に触れる日々の中で改めて食卓を囲む温かさを胸に刻んでおります。
理想の母親像
先日、大勢のお母様方にお越し頂き、5月恒例の「母親セミナー」を開催致しました。2年連続で聴講下さったお母様もいらっしゃり、ご熱心に誠実に歩んでいらっしゃるお姿に頭が下がります。
子育ては、こんなはずではなかったということの連続で、社会人としてそれなりに陽の当たる道を歩んできたはずの自負も、プライドも、なんの役に立たないと思い知ることばかりです。母親としての不甲斐なさに時に涙し、感情のコントロールがきかずに子どもに当たり散らしたり、他のお子様と比べてはいけないと頭では分かっているのに心がついていかず、蟻地獄に落ちるような錯覚さえ時にします。そのような時も、子どもは赦しの名人で、「ママ大丈夫だよ。」とありのままの母親を受け止めてくれます。
もっとこんな声掛けをしてあげればよかった、もっとこんな風に気持ちを受け止めてあげればよかった、もっと私に子育ての豊かな知識があったならば、子どもも私自身もおいつめずに、親子共に楽しい育児の時間が持てたのではなかっただろうか。私がモンテッソーリ教師を目指したきっかけです。
幼児教育を深く学べば学ぶほど、当時の娘たちに対する未熟な母親の姿に贖罪の気持ちと、それでもよりよくありたいともがいていた自分自身を「頑張ったね。」と今は少し褒めてあげたい気持ちです。
アウトプットの積み重ね
慶楓会では、いよいよ願書添削、親子面接練習がスタート致しました。早速に志望園の願書を複数園ご提出くださるご家庭もあり、誠実に粛々とすべきことをするお姿に、決してスマートな母親が理想ではなく、愚直でも、間違っても、一つ一つをもがきながらも今日よりも明日、よりよくありたいと願い歩みをとめない母親であってほしいと、母親セミナーでお話しした母親像と重なります。
アウトプットは、その方の人生そのもの、内面の輝きが問われます。
「あめふります。かぜふきます。」娘たちが通う学園の創立に尽力くださいましたシスターが初めて覚えた日本語とお聞きしました。
イエス様にお近いシスター方でさえ、いつも晴れの日ばかりではなく、雨風が強い日もある中で、歩みを止めずに歩んでくださったからこそ、学園が創立され、娘たちが学ばせて頂く機会に恵まれました。そして娘たち以上に保護者として、母親として今も多くのことを家族の誰よりも私が学ばせて頂いています。
先日、イグナチオ教会にてごミサに預かった娘が帰宅後、「ママ覚えてね。裁かない。赦す。与える。3つの掟。」思春期となり、憎まれ口をたたくこともある娘ですが、神様の前では純粋なままの自分でいられるようです。
「班に入れないなど、いじわるをしない」「周囲に一人の人がいないことを確認してから食べる」娘たちから聞いたお弁当ルールです。多感な10代の時に、自分のことで精一杯で周りが見えていなかった我が身を振り返りますと、子どもに教えられることばかりです。ともに母親として成長していきたいと、心から願う日々です。
執筆
幼稚園受験コース 主任講師 佐藤
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