【コラム】行動を始めよう
慶楓会 小学校受験コース主任 松下健太です。
2023年、新しい年を迎えたと思ったら、もう1ヶ月が経とうとしています。新年最初の1ヶ月を、皆様はどのようにお過ごしになられましたか?
さて、昨年末に私が執筆したコラムでは「悩んでいる時間はない」と題した少々過激な内容をお伝えしました。
その締めくくりでは、「茨の道をかきわけて進んだ先にあるかもしれない光明を目指して進む覚悟があるのであれば、悩んでいる時間はありません。今すぐに行動を始めてください。」と結びましたので、今回のコラムではどのような意識に基づいた行動を始めるべきか、お伝えしてまいりたいと存じます。
季節の行事への向き合い方
新年が明けて、初詣、おせち料理、お正月遊び、七草粥、鏡開き、などと目白押しであった季節の行事ごとを「こなす」毎日をお過ごしになられたという方はいらっしゃいませんか?
幼児の受験を志すご家庭であれば、季節の行事ごとに対するアンテナ感度が高いという方ばかりかと存じます。 しかしそれらが、目まぐるしく「こなす」日々になってしまっていたのでは元も子もありません。丁寧な暮らしとは、何事も効率的で手軽に済ませてしまいがちな日常の中で、いつの間にか移ろってしまう季節や、暮らしの変化に目を留めるべく、立ち止まり、目の前のことに向き合っていくゆとりを意識的に保とうとする態度に他なりません。したがって一つ一つの行事ごとも、特別なイベントやましてやこなすべき課題というよりも、日常の延長に位置付けて迎えていただきたいものです。
行事は「こなす」ものではない
時折、「七草粥の七草を覚えて、それって試験に出るんですか?」と問う方がいらっしゃいます。 事実、私の知る限りにおいて、七草粥の七草を答えなさい、というような試験が幼児の受験で問われたことはありません。
しかしながら、「じゃあ体験する必要も、覚える必要もないですね」ということではありません。入学考査を実施する学校側は、七草を全部言えるという知識に長けた子どもを選抜したいと考えているのではなく、七草粥の由来や、そこに込められた願い、地域による風習の違いや、七草に先立つ若菜摘みについてなどに目を向けられるような子どもを見抜きたいと考えています。
一つの事柄から関心を広げ、興味を抱き、それについてもっと知りたい、より深く分かりたいという意欲を持てるような、広い意味における学びに対する主体的な態度、姿勢をもつお子さんを求めているのです。したがって、フリーズドライの七草粥の素を買ってきて、「はい、食べたね、これが七草粥よ!」というような「こなす」経験では、ほぼ意味をなさないというより、お子さんに育みたい資質の方向性とむしろ逆行しているとさえ言えるかもしれません。
実際に七草を積んでくることは難しいにしても、七草粥をきっかけにして公園や道端の野草に目を留めたり、料理で使うかぶや大根にあらためて意識を向けて一緒に触れたりすることで、子どもの関心を喚起するような働きかけはできるかと思います。そうした一つ一つの事柄に対する質的に深い関わり方や、わからないことがあったら親子で一緒に調べるというような姿勢を示すこと自体が、子どもが自ら対象に働きかける姿勢を養い、目の前の事物に対して意識的に目を向ける感性を育んでいくのです。
親御様に求めたいことは、「季節の行事図鑑」に掲載されている事柄を、スタンプラリーのように網羅的にこなしていくのではなく、毎日の暮らしの変化に対し子どもと一緒に楽しみながら丁寧に向き合っていくことです。
他者と関わりつつ自らの考えを表現することが重視される考査
昨秋の慶應義塾横浜初等部の考査では、自分が描いたものではなく、他の受験生が描いたものを見て、そこから考えたことを絵にするという課題が出題されました。個人の能力が優れていることだけでなく、他者の考えをきちんと受け止めた上で、さらに自らの考えを持ち、しかもそれを適切に表現する能力が問われた課題です。その場においては、あらかじめ用意をしておいた事柄を再現するというような取ってつけたような力を測るのではない、その子のもつ発想力、想像力、表現力、物事を関連づける力などが総合的に問われる良問であったと感じます。また旧来の学習観のような個人主義的な能力の有無ではなく、他者との関わりの中で新しい価値を生み出す力が重視されていることの表れであり、時代の先を常に進んでいく慶應義塾横浜初等部らしい出題であったと思います。
この出題を聞き、私の頭には、5〜6年前に東京大学の外国語の試験で問われて話題になった「あなたが今試験を受けているキャンパスについて気づいたことを英語で説明しなさい」という問題が想起されました。およそ型にはまったような技法を凝らした表現の力を問うのではなく、たとえ平易な表現であったとしても、身近な題材について他者にわかりやすく伝えることのできる力を問うものでした。
こうした力は、幼いうちから物事に対する感性を養い、人に伝えることを大切にする経験を積み重ねることでしか養われません。なんでも親が先回りをして「〇〇が欲しいのね。△△がしたいのね」といった親切すぎる振る舞いを続けるのではなく、時には子ども自身に自らの意思をきちんと言葉にする経験を積ませることにより、例えたどたどしくとも語彙を尽くして自らの意図を届けようとする意志の力に裏打ちされた表現力や、前提の異なる他者に対しても彼我の違いを意識しながら関わる術を学ばせることが可能となります。
成長に資する変化を誘う体験機会の充実は、手間のかかる「忍耐」の日々
繰り返し述べますが、親御さんにしていただきたいことは、リスト化された「やるべきこと」を次々こなしていくような形式的な体験ではありません。
お子さんの内面を豊かに耕し、感性を育むことで、打てば響く、あるいはさまざまな音が鳴る、そんな姿を少しずつ養っていくことです。また、世界に対して自らを喜んで投入していくような姿勢を備えるべく、成長に資する変化を誘う体験機会の充実を図ることです。
多くの親御様が躍起になって、本来代替物であるはずのペーパーにより培おうとされる知識や技能は、本来的には豊かな体験の結果として育まれるものに過ぎません。付け焼き刃的な薄っぺらいものではなく、真にその子の内面に位置付けられた経験に基づくものであって欲しいと願います。
幼児の受験準備は、「これをすればよい」というような短絡的なものでもなく、リストをひとつずつチェックしていくような単調なものでもありません。
出来ていたはずのことが出来なくなったり、今まで困難を覚えていた課題がある日急にできるようになったりと、行きつ戻りつしながら少しずつ伸びていくお子さんの姿を支えていく、日々の生活における目立たない地道な取り組みの積み重ねです。さまざまな刺激を受ける中で子ども自身が、自然と没入できるような対象を見出し、バランス感覚を養いながら幅広く物事に対して前向きな姿勢を持てるように導くという、親御さんにとっては非常に手間がかかる、いわば忍耐の日々です。
親御様自身も楽しみながら積極的な姿勢を示しつつ受験準備を
唯一の正解や、万人普遍の真理が存在しない子育てという営みにおいて、それでも、お子さんの伸びゆく力を信じながら、愛情深い見守りの中で適時適切な手出し口出しをしたり、時にはしなかったりして、親御様自身も試行錯誤の中で歩む毎日を過ごす中でしか、進んでいかないものです。親御さん自身が人生を楽しみ、世界に対する積極的な姿勢を示すことも、お子さんの豊かな学びや育ちの促進剤と考えております。
受験の準備自体も、中途半端や、親の身勝手に子どもを付き合わせるのではなく、まずはお子さんの成長を心から願い、その上で親御様自身がしっかりとした意志を確かに持って、進めていかれることを願います。
小学校受験コース 主任講師 松下健太
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