【コラム】筑波大学附属小学校、慶應義塾幼稚舎における「いのちの授業」を参観して

慶楓会 小学校受験コース主任 松下健太です。

小学校受験の対象として人気の高い筑波大学附属小学校は、ご存知の通り国立の小学校として、初等教育に関する実験・実証的な研究を使命とする小学校です。同校の教員を中心とした。教科や領域を中心とした様々な切り口での研究集団や教育サークルも多く存在し、年間を通じて頻繁に教職員を対象とした研究会・研修会(以下、まとめて研究会)が開催されています。その中でもとりわけ、同校を挙げて例年2月と6月に行われる「学習公開・初等教育研修会」は規模、内容の充実のいずれをとっても、同校の研究会中最大のものと言えるでしょう。

小学校教員時代から私も研究会にはよく足を運んでいたものの、幼児教室を立ち上げ以降はあまりの多忙に少し足が遠ざかっていましたが、2023年2月11日〜12日に開催された今年度の「学習公開・初等教育研修会」に久々に参加し、小学校現場の先生方の実践や研究内容を拝聴して刺激を受けましたので、そこで考えたことを今回のコラムのテーマといたしました

もくじ

思いがけず参加した、学校保健分科会

同研修会では国語や体育、道徳や学校保健といった教科等に別れた授業提案と研究内容の発表がなされるとともに、公開授業をふまえた分科会の時間がもたれるのですが、いくつかの授業、分科会の中で今回特に興味深く学ばせていただいたのが学校保健分科会でした。

現役教員時代は国語や社会、生活といった教科への関心が高かったために学校保健の分科会にはあまり参加したことがなかったところ、今回は申し込み時の空き状況に合わせてたまたま選択したというのが正直な経緯ではあるのですが、結果的に非常に学びの深い時間をすごさせていただきました。

「いのちの授業」の実践

授業そのものは、筑波大学附属小学校養護教諭の斎藤久美先生による6年生を対象とした実践で「小児循環器医や他教科と連携する 命の授業」というテーマで、直接的に扱われていた内容は小児の心臓移植に関する課題でした。指導計画においては、小児循環器の専門医として慶應義塾大学保健管理センターの内田敬子先生の協力を求め、授業にもゲストティーチャーとして招聘をされていらっしゃいました。なお、内田敬子先生は、慶應義塾幼稚舎においてもいのちの授業の実践や、同校5年生の授業でBLS(Basic Life Support)のご指導を担当されており、医師の立場からの優れた教育実践家でいらっしゃいます。

動画記録で拝聴した授業の中で、筑附小6年生の子どもたちは臓器移植に関して段階を踏みつつ、様々な立場から臓器移植に対する自らの考えを深めていました。自分自身がドナーの立場なら、または難病を患い臓器移植を求める立場になったとしたら、あるいは家族が脳死状態に陥ったと仮定してドナーとしての意志をどのように受け止めるか、と立場や視点を変えながら話し合うことで思考を深めていく姿が印象的でした。「自分がドナーになるのは構わないけれど、家族が脳死になったら臓器提供の意志を尊重できるかわからない」といった葛藤は、子どもであるか大人であるかを問わず、人間のいのちに本質的に向かい合ったうえでの率直な声だと感じました。

先生方の発表をお聞きしていると、いのちの授業を実践する上では、授業を受ける子どもたちの家族への配慮や、小学生段階で「死」を扱うことへの是非など、教育実践者側においても多くの思惑や当惑もあったようでした。そうした繊細な問題を前にしながらも、これ以上ないほどにセンシティブで正解がないテーマを扱い、授業の実践並びに本研修会での発表を行ってくださったことには、一参観者として素朴な感謝の気持ちが湧き上がりました。

授業のねらいは、答えが見つからない問題に対する態度の育成

同研修会要綱より一部を抜粋すると、「授業のねらいは、臓器提供の意思決定を促すことではなく、現時点で答えが見つからない問題にも、自分なりの考えを形成し、家族と話し合い、考え続けるなど、自他のいのちを尊重する態度を育てることである」とのことです。同校の社会科や道徳の研究部会では「子どもが価値判断できる姿」に関して研究が深めてこられた経緯がありますが、今回のいのちの授業においても、絶対の正解がない問題に対して、子どもたちが個人の考えを持ち、意図的な教育的揺さぶりや仲間との対話を通じてさらにその考えを深めていくという意味で共通する視点を感じました。

また、分科会における協議の中で、発言されていらした筑波大学附属小学校校長の佐々木昭弘先生は、「正解がない課題に対して、求められる姿勢は納得解を持つこと」とおっしゃっていました。さらに続けて「(教室で学び合う仲間である)他者と考えが違う、立場を変えると答えが変わる、といった課題に対して、考えの異なる他者と歩み寄り、落とし所を見つけようとする態度は、(学習指導要領でも示されている)学びに向かう人間性そのもの」という指摘があり、思わず深く頷いてしまいました。

今回ご発表くださったいのちの授業では、子どもたちが人格を形成していく過程の段階である小学校における実践であるという前提に立ち、何をもって死とするかという科学的(理科的)な視点に基づいた捉え方も扱いつつ、一方では社会的に、倫理的に、あるいは個人の生命観にまで射程を広げて学びを深める、総合的な学びが包含されている印象を持ちました。

社会を生き抜く子どもに、育みたい力や資質とは

私はかつて初等教育を生業とし、現在は幼児教育の担い手として日々を過ごすようになった身として、保護者の方とのお話の機会が昔に比べていっそう多くなったと感じています。ご面談等で我が子の教育に情熱を傾ける親御様の思いをお聞きすると、「国際社会、あるいはITやAIにより変化する社会において、子どもが逞しく生き抜く力を育みたい」という趣旨のお話を伺うことが多くあります。その手段として、我が子の能力を(他の子に比べて)少しでも高めたい、とお考えである方にも出会いますが、それは「生き抜く」ということを、他より優位に立つ、ということと捉えているのではないかと危惧しています。

たしかに個人として力を発揮するためには一定の知識や技能は必要です。しかしそれは、集団の中で個人が抜きん出ることのみを目指すのではなく、多様な人が共存する社会において自他の差異、考えの違いを認識し、そうした中で自己認識や自らの考えを確かにしたり再構成したりする中において、協働して「納得解」に迫っていく姿も含めて考えることが大切であるように感じます。少なくとも、学校という社会において仲間と関わり合いながら育つ姿を支援する学校において、先生方が心血を注いでいるのは一人のエリート教育ではなく、個々の力を伸ばしつつ仲間と歩み寄り高めあう教育であることは間違いないと考えます。

また今回のテーマに関して、先の筑附小校長、佐々木先生はご自身も理科教育の立場からのいのちの授業実践者として「死を学ぶことは、生きることの価値を学ぶことだ」と仰っていらしたお言葉も、心に強く迫るものがございました。

子どもを導く親や、指導者である私たち自身が、自らのいのちと向かい合う厳しさを自覚し、子どもたちに育もうとする資質の内実をどのように捉えるかが問われていると、常に顧みていく姿勢が必要であることを再認識させていただきました。


小学校受験コース 主任講師 松下健太

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