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【コラム】家庭教育の本質とは(モンテッソーリから学ぶ自由教育)

2023年4月より、神奈川県の有名私立大学附属小学校の教諭から、慶楓会小学校受験コース担当講師に就任いたしました、吉岡未来と申します。

これまで、早稲田大学にて初等教育に関する知見を広げ、その後同大学大学院に進学し、代表的な幼児教育の一つであるモンテッソーリ教育について研究してまいりました。修了後に務めた小学校では、1年生から6年生まで幅広い学年の授業を担当し、それぞれの学年の発達段階に合わせた指導方法を模索しました。そして現在、4月に開講したばかりの慶楓会白金台教室にて、私立小学校の入学考査に向けた授業を行い、志望校合格は勿論のこと、受験の先にある子どもの心身の発達と人間力を育むことに尽力しております。

私が初等教育から幼児教育の現場に転籍したきっかけは、就学後の子どもたちの様子に気になる共通点があったからです。個によってそれぞれ特徴はありますが、共通していることは、「集中力に欠ける」「集団行動が苦手」「すぐに癇癪を起こす」「親への依存」などです。これらの子どもの特徴に、多くの保護者や教育現場の方々が日々悩まれていることと思います。その原因には、発達の基礎を築く幼児期に、成長に繋がる活動、即ち自己発達のための作業を「妨害」、あるいは、危険で不道徳な行為を「放任」されて育っていることが考えられます。

そこで、今回のコラムでは、就学前の家庭教育に焦点を当て、モンテッソーリの「自由教育」から示唆される家庭教育の本質についてお話しいたします。

もくじ

「自由教育」の背景

ご存じの方も多いでしょうが、モンテッソーリ教育とは、20世紀初頭にイタリアの医学博士であるマリア・モンテッソーリによって考案された教育法です。モンテッソーリによると、子どもは生まれながらに自らを発達させる力を持っています。生物とは本来、厳しい自然環境の中で生き抜く力を持ってこの世に生を宿しているのですから、それは言うなれば自然の摂理です。子どもは、周囲の環境に刺激を受けながら、興味を持った物に触れたり、匂いを嗅いだり、口に入れたりして、自らの五感を用いながら世の中の仕組みを認識していきます。モンテッソーリは、その過程を「自己教育」と呼んでいます。

この「自己教育」の過程で、子どもの中に規律、即ち環境に合わせて行動する秩序が形成されるまでには、彼らが自身の年齢や発達段階に適した作業に自発的に取り組むことによって成立する「活動のサイクル」が存在します。「活動のサイクル」とは、子どもが興味を持って自ら選択した作業を繰り返し行い、集中して取り組んだ後に達成感をもって自らやめる、という一連の流れを指します。この流れの中で、子どもは作業の繰り返しによって自らの抑制力と集中力を確立し、作業を達成した時の満足感によって精神的人格を形成していきます。

そうした背景から、モンテッソーリは、子どもが一つの作業、例えば色々な形の積み木を高く組み立てる等の作業を何度も繰り返している時に、それを傍で見守り、子どもの中で変化が生じていく過程を観察することこそが、教育者である親の役割であるとして、「自由教育」を掲げたのです。

「放任」と「妨害」を受けた子どもたち

しかし、当然のことながら、子どもが選択する作業が必ずしも正しい発達に繋がる、即ち正常な自己発達にとって有益であるかといえば、そうではありません。子どもは、この世の理を把握していないからこそ、時に危険な行為や、周囲を傷つける言動を取ることがあります。そのような時に、「自由教育だから」と放っておくことは、「教育」ではなく「放任」に該当します。それにより、子どもは善悪の区別がつかないまま成長し、歪んだ自我と価値観が確立してしまうことになりかねません。つまり、教育者には、教育的行為を行う前提として、子どもの自発的行為が正常な自己発達にとって有益であるか否かを見分けることが求められます。

ところが、実際にそれを見分けることは非常に困難であるが故に、「放任」とは反対に子どもの有益な範囲内の自発的行為を妨げてしまう教育者も数多く存在します。一見、無秩序で意味を成さないように感じる子どもの行為は、先に述べた通り、五感を用いて身体的機能の発達を促すと共に、精神的人格を確立させるための自己発達の手段です。しかし、多くの教育者には、それが有益な範囲内の自発的行為であっても、幼児特有の粗野で無秩序な行為としか映りません。これにより、大人の都合で子どもの作業を中断させたり、危険回避のために作業の機会自体を奪ったりと、教育者による「妨害」が為されます。その結果、身体的機能の発達に遅れや障害が生じたり、心にストレスという負荷がかかり、精神の発達に大きな歪みが生じたりするのです。現代の子どもたちに多く見られる望ましくない特徴は、このような「妨害」や「放任」による精神の歪みの現れといえます。

したがって、「自由教育」の中で子どもに保証する「自由の範囲」を見誤ると、行為を妨害して心身の発達に悪影響を及ぼすことや、あるいは好き勝手に放任してしまい、社会性が無く我儘で不道徳な子どもを育成することに繋がりかねません。故に、「自由の範囲」を把握し、子どもの自発的行為が正常な自己発達にとって有益であるか否かを見分けることは、幼児期の教育を担う者にとって最も重要な課題と言えるでしょう。

「自由の範囲」を定める2つの軸

子どもの自発的行為に対して保証する「自由の範囲」には、2つの軸が存在します。それは、「正常な自己発達にとって有益であるか否か」と、「集団的利益を有するか否か」です。集団的利益とは、社会的な常識や規則を守り、自他に安全などの利益をもたらすことを意味しています。前者を横軸、後者を縦軸として、一つの図を想像してみてください。横軸の「有益な範囲」には、自己発達のための作業として積み木を繰り返し組み立てるなどの行為が、「有益ではない範囲」には、隣のお友達に積み木を投げつけるなどの行為が当てはまります。このため、「有益ではない範囲」の行為に対しては、教育者は「躾」として介入し、子どもの中に善悪の区別を確立させる必要があります。つまり、縦軸に関係なく、正常な自己発達にとって有益ではない行為は、「自由の範囲」には該当しないということです。

では、正常な自己発達にとって有益な行為であれば自由を保障するかというと、そうではありません。そこで検討するのが、縦軸の「集団的利益を有するか否か」です。縦軸の「有する範囲」には、室内で積み木を組み立てる状況が、「有さない範囲」には、車の通る道路の真ん中で積み木を組み立てる状況が当てはまります。つまり、仮に横軸の「有益な範囲」に該当する正しい行為であっても、自他に対する迷惑や危険を伴う場合には、当然自由を保障するわけにはいかないことから、「自由の範囲」には該当しません。このような場合には、行為に伴う社会常識や集団行動に関する正しい知識を教える必要があります。

上記のことを踏まえると、モンテッソーリは「自由教育」を掲げながらも、実はその自由をかなり限られた範囲に定めていることが分かります。しかしそれも、対象が幼児であることを踏まえれば当然のことです。「自由の範囲」とは、子どもの発達段階に合わせて徐々に広げていくべきものなのです。このため、教育者には、正常な自己発達にとって有益であり、尚且つ集団的利益を有する行為に対して自由を保障し、傍で成長過程を観察することによって、子どもの発達段階を把握することが求められます。

「援助による妨害」と「規制による妨害」

ではここで、教育者による働きかけの具体的な事案について、幾つかご紹介したいと思います。まず、先述した子どもの自発的行為に対する「妨害」には、大きく分けて2つの種類があります。1つは「援助による妨害」、もう1つは「規制による妨害」です。

「援助による妨害」とは、子どもが答えを導き出そうとする発達の過程で、教育者が良かれと思って答えを教えてしまうことや、先回りして答えを用意してしまうことを指します。例えば、慶楓会小学校受験コースの授業では、使用する机と椅子を子どもたち自身が用意し、我々指導者はその様子をじっと観察しています。すると、一人では到底持つことのできない重い机をどうすれば持てるのか、子どもたちは考えます。そこで大人が、「子どもが持つには重たいから」と代わりに机を運んであげることは、「援助による妨害」に当てはまります。モンテッソーリによれば、これは優しさではなく、ゆっくりとした幼児期特有の時間の法則に対して、忍耐力の欠如した大人が黙って見守ることを放置した瞬間にすぎないと言います。

このような場合には、行為を肩代わりするのではなく、「一人で持てないのなら、どうしたら良いかな」「机の端と端を持つと持ちやすいかもね」と、子どもたちが正しい答えに辿り着くための「支援」をします。すると、子どもたちは「一緒に持とう」「向こう側を持って」と声を掛け合い、重い机を自分たちでゆっくりと確実に運びきります。こうして、自ら答えを導き出し、己の力で物事を達成していく過程で、子どもは自己肯定感を獲得し、他者との関わりを通じて心身を発達させていくのです。

一方、「規制による妨害」とは、例えばお皿運びを望んだ子どもに対して、「危ないから」とお皿を奪い取るなど、教育者が定めた規則によって子どもの行為を妨げることを指します。確かに、腕の筋肉の発達が未熟な幼児が重いガラス製の食器を運んだ場合、床に落として怪我を負う可能性は十分考えられることから、上記のような対応は必然と思われるかもしれません。

しかし、そんな時には、ガラス製のお皿からプラスチック製のお皿に変えるなど、環境づくりに従事することが大切です。プラスチック製のお皿であれば、仮に落としたとしても怪我を負うことはありませんし、幼児はお皿をどのように扱えばよいのか、バランス力や指先の使い方を実際の経験から学び取ることができます。このように、子どもの発達段階に合わせて、子どもを取り囲む環境を整え、実体験の場を提供することこそ、教育者の真の役目と言えるでしょう。

自立へと導く支援

就学前の家庭教育とは、人間性の基礎を築く幼児期の教育を担うことから、一般に考えられている以上に重要な意味を持っています。子どもに関わる周囲の大人は、子どもの自己発達に繋がる環境要因の一つであり、一人の教育者です。その重さを理解し、子どもの行為に対してどのように働きかけるべきかを正しく認識する必要があります。そうして、発達段階に適した自由を保障されて育った子どもは、心身の正常な発達によって幼児期に形成された人間性を軸に、より発展的な能力や個性を伸ばす就学後の教育へと向かっていくのです。

したがって、家庭教育の本質とは、子ども自身が様々な作業を経験できる環境を整え、受動的に子どもの発達を支援することによって、人間性の基礎を築き自立へと導くことにあると言えるでしょう。それはまさに、志望校合格だけでなく、子どもの心身の発達と人間力を育むことを目的とする、慶楓会の理念そのものです。今後も、同じ教育者として家庭と手を取り合い、子どもたちの本質を育むためにご支援してまいりたいと考えております。

執筆
小学校受験コース 担当講師 吉岡未来

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