【コラム】悲劇のヒロイン?
今回は、お子様が成長する中で壁を乗り越える際に重要な「お子様に対するご両親様のお声掛けとその言葉」についてお伝えしてまいります。
好きなことを好きなだけできる特別な時間
私ども慶楓会幼稚園受験コースでは、縦割り総合クラスの中で、モンテッソーリの棚のお仕事、季節の制作、制作活動、体操、リトミック、自由遊び、お弁当、時にお天気が良い日のお散歩の時間では、道路の歩き方、交通ルール、草花の採取、摘んできた花を生ける時もあり、長いお子様ですと、授業と併せて週1回、5時間半、お通いになっています。子ども達にとりましては好きなことを好きなだけできる時間もあり、授業とはまた違う楽しみな時間となっています。
お子様に求められる力とご両親様のお声掛け
総合クラスの特徴として、教師に与えてもらうのではなく、自分から環境、遊びに主体的に関わりをもち、自ら楽しむ力が求められます。時に声をかけてもらうまで棚の前に立ちすくむ子、声をかけてもらっても、頑なに泣いていてやらない子など様々ですが、たった1~3年の経験値の違いによるもののため、まずはお子様自身がどうしたいか、無理強いをせず丁寧に気持ちを聞き見守ることを大事にしています。
お子様のご様子はご両親様と細やかに共有し、安心して次の一歩が踏み出せるよう見守り導く中で、ほとんどのお子様は大好きなお父様、お母様以外にも自分を愛してくれる人がいることを本能で感じ、壁を乗り越えていきます。
しかし、非常に残念ですが、ごく稀に困難な時もあります。「何度促しても泣いてお弁当を食べませんでした」とお伝えしますと、「5時間も何も食べさせなかったのか、可哀そうに」とお話しされた保護者様もいれば、お子様に「お腹すいただろう、みんなと一緒に食べると美味しいぞ」と優しく語りかけ、「ご迷惑かけました」とお話しされる保護者様もいらっしゃいます。
また、「時に何度か促しましたが、みんなとは一緒に座らずお外を見ているお時間がありました」とご様子をお話しますと、「何もさせないで可哀そう」とお話しされる保護者様もいれば、「今日はお外が見たかったの?何か見えた?色鬼ごっこはお家でやってみようね」と、次に繋がるお声掛けが自然とできる保護者様もいらっしゃいます。
壁を乗り越えることができるご家庭の共通点
どんなお子様でも最初は泣いたり、やらなかったり、大好きなお家の人と離れる初めての社会経験では、これらはある意味当然の事例です。泣く、泣かない、やる、やらないが重要なのではなく、一つ一つの事象に対して我が子の様子をどう受け止めるご両親様であるか、同じ事象を経験したその先が全く違う景色になることは間違いありません。
壁を乗り越えるご家庭に共通しているのは、ご両親様のお子様へのポジティブな声掛けです。「可哀そう」を連呼されると、お子様は「私は可哀そうな子」だと思い込み、自らを悲劇のヒロインと見なして更なる悪循環を生みます。厳しいことを申し上げれば、可哀そうは親の自己満足であり、お子様のご成長の為に発せられた言葉ではないと私は思っています。
誰しも心で思うのは自由、しかしながら発言してしまう事は全く別次元の問題です。発せられた言葉は言霊となり真っすぐお子様へ向かい、お子様自身の内面の自ら成長したいという神秘をも台無しにしてしまいます。
「言葉選び」の重要性
大好きなお父様、お母様からの言葉は魔法の言葉です。お子様の気持ちやご様子をありのまま受け止め、共感することの次には、どんな時もわが子が前を向いて歩いていけるよう、一つ一つの言葉をよく考える必要があると感じています。
理不尽なこと、思いがけないこと、やりたくないことを、乗り越える力を育むチャンスと捉え、心で泣こうとも決して見せず、そっと背中を押してあげられる言葉、関わりを持てる人で在りたいと願うばかりです。
執筆
幼稚園受験コース 主任講師 佐藤浩子
体験授業・ご面談も随時承ります