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【コラム】子育ての舵はご家庭が握る -安易に答えを求める姿勢への警鐘-

保護者課題の取り組みについてのご紹介を前々回のコラムに掲載いたしました。その記事も多くの方が目に留めてくださり、ご面談でも「コラムを読みました」とおっしゃってくださる方が多く見えますこと、感謝申し上げます。

5月からは「早期面接練習」という名目で、例年よりも早い時期からの面接練習を行なっており、保護者の方に早い段階からお考えをまとめていただく機会の増強を図っています。

お考えを文章で表現していただく「保護者課題」、口頭で表現していただく「早期面接練習」、いずれもそれぞれ、いざ取り組んでみると筆が止まる、言い淀む、といったところがあり、形にすることの難しさを保護者の方はお感じになっているようです。

今回のコラムでは、こうした取り組みに対してどのような姿勢で臨んでいただきたいか、ひいてはそもそもの子育ての立脚点についてお伝えいたします。

もくじ

答えを安易に求めてはいけない

子育ての考えをまとめることの困難

子育ては毎日の途切れることがない営みでありながら、そのことに対する考えを一定の観点からまとめようとすると、なぜか困難を感じてしまうものです。それは子育てが「Aという入力をしたらA’という出力がある」というような定型が存在するものではなく、日々成長・変化していくお子様、そして保護者の方ご自身の、生身の接触によるものであるからでしょう。一瞬ごとに変化していく主体・客体という性質だけでなく、さらに時や場面によって適切な振る舞いのチューニングを変化させていくことが求められる中において、唯一無二の正解は誰にも定められるものではありません。

とは言え、単一の答えを導き出すことができない=答えを出すことができない、という訳ではないことも自明と言えるでしょう。いくつかの留保があると言えども、やはり原理原則のような事項をいわばご家庭の「軸」として定めることは可能ですし、またその軸が不変ではなくしなやかに動きうるものであっても不自然ではありません。絶対真理を確立することは不可能であるというそもそもの前提に立つことは承知の上で、それでも親子でひたむきに物事に対して向き合おうとする姿から紡ぎ出される言葉には、そつのない美しい響きの美辞麗句よりも、聞く人の胸を打つ力があるとも言えます。

過去の生徒様で受験の道のりが困難であった方の特徴

「保護者課題」や「面接練習」といった取り組み、あるいは日々のご面談をお受けする過程においては、過去にお通いいただいた生徒の保護者の方で、最後まで意志を貫徹できず通塾が長続きしなかったご家庭についても、自然と記憶が蘇ります。すでに最後まで共に道を歩み慶楓会を卒業された方、本記事執筆時点で現役の会員である方には、以下に述べる特徴は当てはまらない認識ではありますが、思い返すにつけて、過去に道半ばで共に歩むことができなくなった何名かの方々の中には、直面する課題に対して自分たちで答えを見出そうとするのではなく、私どもに正解を求めてしまっていらした方が多かったように感じます。時には、私どもが助言を差し上げると「じゃあ、結局どうすればいいんですか!」というような、子育ての主体性を放棄したような態度を示される方も僅かながらいらっしゃり、とても残念なことと感じています。

忘れてしまいがちな原則

当然ながら、幼児教室はご家庭における子育て・教育の支援を行う立場でありますから、一面的なものの見方をお伝えするというよりも、ご家庭のあり方について共に悩み、考え、道を一緒に歩んでいく姿勢を保持しています。「幼児教室に通ってさえいれば子どもが勝手に育つ」ということは当然ありませんし、どこまで進んでもあくまで子育ての担い手、育児の中心はご家庭、保護者にあります。

こうした原則について、多くの方は理性では分かっておられるものの、目の前のお子さんの姿に対する焦り、保護者の方自身の余裕の無さが積み重なってくると、ついつい当たり前の事実を忘れてしまいがちのようです。自分達が真摯に学びながら家庭としての考えを固めていくという基本姿勢を忘れてしまい、「正しい答え」を手っ取り早く教えてもらおうというような考えに変わってしまうと、そこから適切な進歩を図ることは困難となります。場合によっては「回りくどいことを言っていないで、どうしたら良いかを早く教えてくれ」とでも言わんばかりのようなご姿勢で面談にいらっしゃる方もないではありませんが、子どもを育てるという点において同じ方向を向いて手を携え合って進むべきところ、軸足が家庭の外に置かれている限りは歩みが遅々として進まないのは当然ではないかという危惧さえ覚えてしまいます。

「教える」とは「答えを教える」ことではない。

私ども、教室を運営している立場では、子どもたちにも、保護者の方にも「教える」ということが提供する価値の中心となります。しかしながら、この「教える」ということが「答えを教える」ことと勘違いをされている方がいらっしゃるようです。さまざまなご助言を差し上げることはできても、ご家庭やご両親の背景、家庭教育の価値観・方針、お子様の現在のお姿など、数多くの要素が複雑に絡み合い、しかもそれが日々変化していく中において、「これが正解です」と断言することは誰にもできません。保護者の方自身にすら難しいことです。それにもかかわらず、どこかにあるかもしれない幽霊のような「正解」を追い求めて、自らの選択・家庭教育の責任を他に依頼するのはあまり望ましい姿ではないと考えます。

子育ての舵はご家庭が握る

子育てに絶対的な解答はない

子育て、家庭教育に関して、唯一無二の絶対的な解答というものは存在しません。答えがわからない中で、それでもより良いあり方を模索していくためには、時には困難を覚えながらの道のりであっても自ら道を切り開いていく姿勢を示すほかありません。我が子の教育に関して他人任せの姿勢をとり、幼児教室を含む他者から「これが最短ルートですよ」とか「このやり方だけが正解ですよ」と言って示された道を都合よく進んで行こうとしても、それは中々うまくいきません。とは言え、目の前の藪を払い、大波を乗り越えながら進んでいく時に「万が一のために、これを備えておきましょう」「こういうペースで進むと疲れにくいですよ」といった周囲からの助言は真摯に受け止め、自らの歩みを力強くしていく方策に耳を傾ける謙虚な姿勢は大切です。それでも、最終的にどの道を選択して歩んでいくのかという責任を各ご家庭におかれてはしっかりと自覚し、子育ての舵を決して離さずに歩んでいただきたいと考えています。

真摯で謙虚な姿勢のもと、自らが答えを見つけ定めていこうとする覚悟を

険しい道の途中では、時に見苦しい醜態を晒すことさえあるかもしれません。しかしながらそうした奮闘に伴って流す汗や涙には、他に替えることのできない美しい輝きがあることも事実です。目の前の道のりの厳しさを嘆くよりも、その先に見える大きな展望を胸に、希望を持って一歩ずつ歩みを進める爽やかな逞しさを誇りとして、地に足をつけた日々を過ごすことはむしろ喜びと言えるでしょう。誰かに教えてもらったカギカッコつきの「正解」から外れないことに心を砕く狭量な判断に陥ることなく、真摯で謙虚な姿勢は忘れずとも自らが答えを見つけ、定めていこうとする覚悟を胸に歩んでいただきたいと思います。

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執筆
小学校受験コース 主任講師 松下健太

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