【コラム】私立小学校に求められる親の在り方(学び続ける「教育者」)

慶楓会小学校受験コース担当講師の吉岡未来です。

新年度の授業がスタートした11月から現在に至るまで、入塾に関するお問い合わせを多数いただいております。
未だ様々な点で、受験に関して悩んでいるという方が大半です。

その中で、以下のようなお悩みを抱えるご家庭が一定数見受けられます。

「合格に向けてどのような教育を施せばよいのか分からない」
「どのような両親が有名校に求められるのだろうか」

そこで今回のコラムでは、「私立小学校に求められる親の在り方」について述べたいと思います。

もくじ

まず、誰よりも謙虚であれ

私立小学校は、学校への協力を惜しまず共に歩む姿勢を示すご家庭を求めています。どれだけ社会でご立派であったとしても、あくまで一つの学校に入学を願い出る立場として、謙虚に学ぼうとする姿勢が見えなければ、学校からは受け入れを拒まれます。数多くの選択肢の中から選定したと言わんばかりの尊大な態度は、受験に限らず、入塾前や後のご様子にも顕著に表れます。そのような、コスパの良さや自分都合で効果ばかり期待するような姿勢は、現場で活躍する教育のプロにはすぐに見透かされ、合格はいただけません。

幼児の受験では、ご家庭がその学校の文化にしっかりと染まった上で、学校の考えと協調して子どもを育てていくことが可能かどうかを厳しく見極められるのです。したがって、先生方への敬意を払い、同時に家庭としてのあり方や教育観をいかにして学校のそれに近づける努力ができるかが重要です。厳しいようですが、お子様がどれだけ頑張っても、ご両親がそれを台無しにしてしまうことのないよう、まずは「家庭の教育者」として謙虚で気品に溢れた姿勢をお示しいただければと存じます。

志望校は世間体で選ぶべからず

有名校と聞いて誰もが想像する学校以外への進学は、まるであさましいことであるかのように忌避し、超然的な姿勢を保とうとする方ほど、受験が近づくにつれて急に焦り出し、やたらと志望校を相談するための面談をご希望されます。幼児の受験は甘くはなく、10倍率以上を超える学校が多数存在し、受験した学校をことごとく不合格になることも珍しくありません。

そのため、安易に志望校を有名校だけに絞ることは、命綱を持たずしてヒマラヤ山脈へ登るようなものです。 そうして、世間体や価値観を子どもに押し付けた結果、周囲のお友達は「合格」を貰っているのに、自分だけはどこの学校にも選ばれなかったという劣等感をお子様に与えてしまいます。

子どもは、その小さな体で親の期待に応えようと懸命に励んでいるからこそ、我々大人が想像する以上に疲弊し、心に傷を負っているのです。有名校への受験に挑戦しつつも、それと並行してお子様の能力と個性に適った正しい志望校選びをしていただくことを願っております

親の仕事は「必要とされなくなること」

では、実際にご家庭でどのような教育を施せば合格に辿り着くのでしょう。授業で扱った内容の復習などは言うまでもありませんが、一つ確かなことは「子どもの自立を支援し、親が必要とされなくなること」だと考えます。

慶楓会の授業においても、親が横にいないと授業が受けられない、少しでも思い通りにならないと泣き出す、一人で靴の脱ぎ履きができない、帰り支度から鞄を持つところまで親にやってもらう等の姿が、しばしば見受けられます。それに対して、親が子どもの求めるままに動いてしまった場合、それは教育的行為には当てはまりません。親がいなくとも、自分の力だけで行動できる生活力と、自発的に他者と関わる精神力を持ち合わせた「生きる力」の持ち主こそが、受験という荒波の中で生き残るのです。

したがって、手を出さずに「ただ見守ること」が、却って子どもの成長への「手助け」となることをご理解いただきたく存じます。そうして、たくさん間違えたり時間をかけたりしながら失敗体験を積み上げ、自分で考え行動する経験を重ねる中で、徐々に説明やお手本の提示によって成功体験へと導いていく過程こそが、真の教育的行為と呼べるでしょう。教育の目標は常に「子どもの自立」であり、我々教育者の仕事は「必要とされなくなること」だということを、今一度お考えいただければと存じます。

見守る、あるいは介入すべき場面の判断基準については、過去のコラムで詳しく述べましたので、そちらを是非下記よりご覧ください。

→ 該当のコラムはこちら
家庭教育の本質とは(モンテッソーリから学ぶ自由教育)

子どもは親を映す鏡

「子どもは親を映す鏡」という言葉は、誰もが一度は聞いたことがあると思います。しかしながら、その意味を真に理解し、親という名の教育者であるご自身の言動を振り返るご家庭は、残念ながら非常に少ないのが現実です。

例えば、お子様の前で他人や家族の悪口を言ったり、イライラした態度を見せたり、汚い言葉を使ったりしていませんか?子どもは、生まれ落ちた家庭という環境からこの世の理を理解しようと、常に情報を吸収し自身の中に落とし込んでいます。それ故、家庭教育はある種の「洗脳」とも呼べるほど、お子様の価値観や人格形成に大きな影響を及ぼしてしまうのです。

信号は赤色で渡るものだと親が伝えれば、子どもは赤信号で渡るようになります。母親が父親の悪口を言えば、子どもは父親が悪いと決めつけるようになるでしょう。狼に育てられれば、四本足で歩き、人に対して唸り声をあげる子どもが育つのです。 そうした理屈から、子どもの安定した精神と豊かで愛に溢れた人格の形成には、夫婦愛をはじめとする、親の温かい人格と日常の笑顔が必要不可欠なのです。

したがって、考査においてお子様に気品溢れる佇まいや、知性に富んだ言動を求めるのであれば、まずは親御様がそれを実行し示さなければなりません。親が常に不安そうな顔つきをして、人に対する不満を抱いていれば、感情の起伏が激しい、どこか落ち着きのない不安定な子どもが育ちます。志望校とする学校において堅持されている、丁寧な教育的営みや価値観に並ぶどころか、むしろ対極にあるような振る舞いすらご自身の日常に溢れていないかどうか、お子様という鏡を通して振り返ってみてください。

学び続ける「教育者」

お子様に何かを求める前に、誰よりも教育者自身が学び続けなければなりません。「うちはこうだから」と頑なに視野を狭めて、志望校や教育方法などをご自身の価値観で固めてしまわないよう、意識していただきたく存じます。「教育者はこうであるべき」「親である自分が正しくあらねば」と、子どもの教育に真剣に携わろうとするあまり、自分自身の学びを止めてしまうことがあります。そうして知らず知らずのうちに、「自分の考えが正しい」という無意識の領域に足を踏み入れてしまうのです。

親であろうが、教育者であろうが、時には間違えて良いのです。大切なのは、間違えた時にどう行動するか、その姿勢を示すことだと考えます。「間違えたら素直に謝る」「気持ちを打ち明けて一緒に悩む」「異なる価値観を受け入れる」など、人としての当たり前のコミュニケーションを、日常的にその背中でお子様にお示しいただくことを願っております。

それに加え、老若男女問わず、できるだけ多くの人々と関わる機会を設けることで、お子様が異なる価値観に触れ、自身で物事の答えを見出していく力を習得することが大切なのです。あくまで教育者の仕事は、「教えること」ではなく、選択肢や方法という「道を示すこと」だとお考えください。

唯一の正解が存在しない子育てという営みは、お子様の伸びゆく力を信じながら愛情深い見守りの中で適切な支援を施し、試行錯誤しながら歩む毎日を過ごす中でしか進んでいかないものです。親御様自身が人生を楽しみ、時に間違えて正す姿勢を示すことも、お子様の豊かな学びや育ちの促進剤となります。受験の準備自体も、中途半端や親の身勝手に子どもを付き合わせるのではなく、まずはお子様の成長を心から願い、その上で親御様自身がしっかりとした意志を持って進めていかれることを願います。

私立小学校をはじめ、教育界に求められるのは、いくつになっても学び続ける姿勢を子どもに示す親の姿だということを、ご理解いただけますと幸いです。

執筆
慶楓会 小学校受験コース担当講師 吉岡未来

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